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<title>Everything Begins in HARU Ⅱ</title>
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<description>「仏教学」のブログを目指して…</description>
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<title>『大崎学報』合冊本の落丁</title>
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<description>久しぶりの更新だ。 色々書きたいことはあるのだが、なかなか記事にすることができな...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;久しぶりの更新だ。&lt;br /&gt;色々書きたいことはあるのだが、なかなか記事にすることができない。私はいくつか興味のあるブログがあって時折見るのだが、頻繁に更新しているブログを見ると、尊敬してしまう。&lt;br /&gt;ただ、こんなに更新しないブログではあっても、結構閲覧していただいているようで、毎日少しずつではあるがカウントが刻まれている。これを考えれば、一応置いておくだけでもそれだけの価値はあるのかなと思っている。とは、毎度冒頭に書く常套文章であるが…。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今回は、覚え書き、というより一応日蓮教学研究者の間でよく読まれている学術雑誌『大崎学報』の合冊版に落丁部分を発見したので、一応その旨を記しておこうと思って、更新を試みた。アップしておけば、研究者の方々が何らかの形でこの記事を探し出され、頭に入れておいてくれたのなら、きっと役に立つだろうという考えから、あげておくことにしたまでである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『大崎学報』の合冊版は、昭和50年に第１期として7冊が出されたようだ。奥付は「&lt;span style=&quot;color: #3366ff;&quot;&gt;編修・立正大学仏教学会、代表者・茂田井教亨、発行者・西塚定雄、発行所・巌南堂書店、発売所・東陽堂書店&lt;/span&gt;」となっている。&lt;br /&gt;こういう古い雑誌が合冊となって発売されることは、少なからず学問発展のために寄与する有益な事業であるといえるだろう。私もこの合冊版は、学部時代の頃から今に至るまで、大変活用させてもらっている。&lt;br /&gt;今回、「挫日蓮」を読んでいる中で、日蓮宗と他宗徒との宗論について知りたくなった。そこで色々と調べるうちに、稲田海素氏が『大崎学報』誌上に３回に分けて「日蓮宗宗論書解題」という題名で、宗論記録の文献の解題を執筆されているものを見つけた。そこで、いつものように『大崎学報』の合冊版を確認してみた。すると、15号（明治43年11月）に掲載された、都合3回目（最終回）の解題のうち、（１）～（１６）の部分が落丁していた。2冊の合冊本を確認してみたが、両方とも落丁していたので、これはすべての合冊本にいえることであると思う。&lt;br /&gt;宗論書の解題とは、かなり狭小な部分を扱っているものかもしれない。しかし、稲田氏のこの情報量はかなり充実したものがあり、今回私が確認したかった内容は、この解題によってかなり理解できたので、稲田氏には心から感謝をしたいと思う。ただ、落丁部分は残念ながらまだ入手していないので、何らかの形で手に入れられたらと思う。&lt;br /&gt;なお、安土宗論のような大きな宗論に関する文献は『大日本仏教全書』に収載されているが、そのほかの宗論書については、山口晃一氏の編集になる『日蓮教学全書』に刊本の集成であるが、かなり多く掲載されているので、必要な方は参看いただきたい。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>教学・教団史</dc:subject>

<dc:creator>beginsharu</dc:creator>
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<item rdf:about="http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-792f.html">
<title>湯浅治久著『戦国仏教―中世社会と日蓮宗』を購入する</title>
<link>http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-792f.html</link>
<description>　今日、久々に書店に行ったので、湯浅治久氏の著書『戦国仏教―中世社会と日蓮宗』を...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　今日、久々に書店に行ったので、湯浅治久氏の著書『戦国仏教―中世社会と日蓮宗』を購入してきた。以前に発刊されたことは知っていて欲しいと思っていたが、今日ようやく購入できた。&lt;br /&gt;　湯浅氏の著書については既刊の『中世東国の地域社会史』を所蔵していて、興味を持っていたし、湯浅氏が勤める博物館に行ったときにも、このブログで紹介したこともあった（&lt;a href=&quot;http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_0e3f.html&quot;&gt;http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_0e3f.html&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;　そんなことからも、氏の著書が出たと言うことで楽しみにしていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今日は、まだ第二章までしか読めなかったが、目次を見ても日蓮教団史に興味を持つ私にとっては大変に興味深く、さらに読み進めていくと未知のことも書いてあって、私的には非常に楽しい内容であった。&lt;br /&gt;　現在まで読んだ中では、千葉氏と富木氏との関係性、そして富木氏と日蓮聖人の関係が、短い中にも非常に詳細な論述がなされていて、特に興味深かった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　一点批評を挙げるならば、「&lt;span style=&quot;color: #3399cc;&quot;&gt;彼らが、律宗や法然浄土教、あるいは日蓮の布教の対象となることはごく自然に理解できる。極楽寺が西の境界に建てられ、日蓮が名越に草庵を結んだ事実そのものが、彼らをターゲットにしていたことを如実に物語っている…&lt;/span&gt;」（36頁）とのフレーズがよく理解できない。&lt;br /&gt;　東境界の名越草庵と西境界の極楽寺とが対立の構図で、布教の対象となるという理屈に私の頭の中はクエッションマークが巡り、その後を読み進めてもよく理解できなかった。そもそも、鎌倉に居を構えること自体、容易なことではなかったはずである。湯浅氏も「&lt;span style=&quot;color: #3399cc;&quot;&gt;日蓮の場合、名越に来たのは北条一門の名越氏を通じてであり…&lt;/span&gt;」と述べているが、何らかの手だてがない限り、鎌倉に居住することはできなかっただろう（ただし、湯浅氏が四条金吾の手だてで鎌倉にとの説を挙げられていたが、これは根拠が乏しいと思われる。こうした点は、さらに詳しい研究が必要かと思う）。日蓮聖人と鎌倉という関係性に対して、名越氏が何らかの形で関わっていたことは想像されるのであるが、それにしても、名越に居住するということと、西に極楽寺があってそれが「&lt;span style=&quot;color: #3399cc;&quot;&gt;布教の対象となることはごく自然に理解できる&lt;/span&gt;」のだろうか。その辺は、もう少しわかりやすい説明が欲しかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　今まで読み進めた場所が、まだまだ本論である「戦国仏教」論にまで至っていないので、さらに読み進めていきたいが、いずれにしても歴史学的な視座より日蓮教団を解明した格好の書であることは論をまたない。&lt;br /&gt;　おすすめの一書として紹介しておきたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;table&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td valign=&quot;top&quot;&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121019830/nifty05-nif135093-22/ref=nosim&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img title=&quot;戦国仏教―中世社会と日蓮宗 (中公新書)&quot; height=&quot;160&quot; alt=&quot;戦国仏教―中世社会と日蓮宗 (中公新書)&quot; src=&quot;http://ecx.images-amazon.com/images/I/41GQSwdUQHL._SL160_.jpg&quot; width=&quot;103&quot; align=&quot;left&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;

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&lt;p&gt;&lt;table&gt;&lt;tbody&gt;&lt;tr&gt;&lt;td valign=&quot;top&quot;&gt;&lt;a href=&quot;http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4872943880/nifty05-nif135093-22/ref=nosim&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;&lt;img title=&quot;中世東国の地域社会史 (中世史研究叢書 (5))&quot; height=&quot;160&quot; alt=&quot;中世東国の地域社会史 (中世史研究叢書 (5))&quot; src=&quot;http://ecx.images-amazon.com/images/I/41GFRD53SVL._SL160_.jpg&quot; width=&quot;116&quot; align=&quot;left&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/td&gt;

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&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●ブログ「なんか、まあ適当な感じで…」書評&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://blog.goo.ne.jp/jason_jiambi/e/c5115579a4ff90c0610fbbb77fd262be&quot;&gt;http://blog.goo.ne.jp/jason_jiambi/e/c5115579a4ff90c0610fbbb77fd262be&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●ブログ「Io lessi un libro nuovo」書評&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://d.hatena.ne.jp/satesatedousuru/20090201/1233494410&quot;&gt;http://d.hatena.ne.jp/satesatedousuru/20090201/1233494410&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●ブログ「なまけたろうとすごす日々2009 」書評&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://plaza.rakuten.co.jp/hon5j/diary/200902060000/&quot;&gt;http://plaza.rakuten.co.jp/hon5j/diary/200902060000/&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書籍・雑誌</dc:subject>

<dc:creator>beginsharu</dc:creator>
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<item rdf:about="http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-be14.html">
<title>研究者・ポスドクの問題</title>
<link>http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-be14.html</link>
<description>久々の更新だ！ 特に研究に関する報告がないので、今日はテレビネタでの更新である。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;久々の更新だ！&lt;br /&gt;特に研究に関する報告がないので、今日はテレビネタでの更新である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今日たまたま朝テレビを見ていると、スーパーモーニング（&lt;a href=&quot;http://posdocnet.blog94.fc2.com/&quot;&gt;http://posdocnet.blog94.fc2.com/&lt;/a&gt;）という番組で、東大大学院を出ていながら、定収入に悩んでいるという研究者が取り上げられていた。大学院博士課程を修了していながら就職先が見つからず、非常勤講師や研究員をやりつつも、常に就職活動をしているという。&lt;br /&gt;国家が学位の取得を取りやすくしたのはいいけれど、結局就職という受け皿については何ら検討することがなかったのが原因だという。&lt;br /&gt;研究員の人もいっていたが、「東大大学院にはいるなんて名誉なことはないし、その時は将来に不安なんかなかった」と…。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私も院に進んだ過去があるが、結局研究者を職業とすることはできず、在野の立場になった。それでもまだ研究できるのだから、ある意味幸せといわなければならない。しかし、同僚たちのその後の進路はどのようなものなのか。大学を離れてしまったから、みんなの今を私は知らない。思えば、大学側も院生に対しての就職活動をよく促していた。授業中にも教授が、「学問で食っていくなんて誰も思っていないだろう。学者としてこの中でもほんの一握りいればよいほうではないか。もし食っていけると思っているなら、考えを改めて、就職活動した方が良い」といっていた。今思えば、こういうことを言っていたんだと、今更であるが、そう思えた。&lt;br /&gt;修士課程のとき、同僚が就職活動していたが、面接のとき、「何で大学院になんて行ったんですか？」「大学院に行って何か成果がありましたか？」とよく言われたということを思いだした。“&lt;span style=&quot;color: #ff33cc;&quot;&gt;大学院に行っておきながら就職活動なんて悪だ&lt;/span&gt;”ぐらいな感じで、企業側も思っていたようだ。その友人は、何とか就職先を見つけ、修士課程でやめたが、色々言われて嫌な思いをしたものの、かえってそのときに就職先を見つけられたのが、逆にラッキーだったのかもしれない。&lt;br /&gt;博士課程に進んで、今でも学会で発表をしている数人の友人を知っているけれど、教授・准教授・専任講師など、体制がまったく変化しない学内の状況の中で、次々と空席を待つ研究生やポスドクが出てきて、果たして彼らの行く末はどうなっていくだろうか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もう一つ番組内で、腹立たしく思ったことは、文部科学省の課長が、研究者の人格を否定するような暴言を吐いていたことだ。社会的に通用しない人間が学者には多いような言い方をしていた。だから、社会的に通用するような学者を養成するためのプログラムを考えているようなことを言っていたが、論点がまったくずれている。経済評論家の森永教授も怒っていたが、国家が大学院の門戸を開いたんだから、その受け皿を考えろと言っているのだ。文科省ももう少しまともな考えを持たないと、この問題は一向に解決されず、さらに混迷度を増すことは間違いないだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これからも高学歴低収入、いや、高学歴未就職なんて時代が続くようなら、科学技術創造立国・日本なんていう言葉は確実に死語となる。&lt;br /&gt;日本を支えているのは、一握りの注目される人たちではなく、地道に働く末端の庶民である。学問を支えているのは、在野を含めた熱心な研究者であり、業績ばかりを気にしてたいしたこともないような報告を発表しているようなお先生方だけではない。そうしたことをしっかりと認知していかなければ、いずれ日本は滅んでいくであろうことを、行政側はもっともっと認識してもらいたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;石井郁子氏の国会での質問&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a170151.htm&quot;&gt;http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a170151.htm&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ブログ「博士号取得を目指す人々」&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://blog.livedoor.jp/hakase2005/&quot;&gt;http://blog.livedoor.jp/hakase2005/&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;博士の生き方&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://hakasenoikikata.com/top.html&quot;&gt;http://hakasenoikikata.com/top.html&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ブログ「ポスドク・若手研究者の問題を考える」&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://posdocnet.blog94.fc2.com/&quot;&gt;http://posdocnet.blog94.fc2.com/&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>学問・資格</dc:subject>

<dc:creator>beginsharu</dc:creator>
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<item rdf:about="http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-ecd7.html">
<title>謹賀新年</title>
<link>http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-ecd7.html</link>
<description>昨年もさっさと一年間が過ぎ去り、また新しい年が幕を開けた。このブログも更新がまっ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨年もさっさと一年間が過ぎ去り、また新しい年が幕を開けた。このブログも更新がまったくなされず、放置状態になっている。ただ、色んな検索語でこのブログを訪ねてくださる方もいるようで、カウントだけは淡々と刻んでいっている。そういう状況を見ていれば、一応の存在意味もあるのかなと思いつつ、放置して、気が向いたらまた記事を書く、そんな変わらないスタンスでいきたいと思っている。はたして、本年、いくつの記事が書けるのかわからないが…（苦笑）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;せっかく新年を迎えて、こうして記事を書く気になったのであるが、報告すべき内容もないので、とりあえず昨年届いた雑誌のうち、二冊を取り上げ、その目次をあげておきたいと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;仏教史研究&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;color: #0066ff;&quot;&gt;（龍谷大学仏教史研究会）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;○中川洋子「仏教史研究草創期における「信と歴史」の問題―反省会と仏教清徒同志会とを中心に―」&lt;br /&gt;○宇治和貴「親鸞の救済における神祇不帰依の意義」&lt;br /&gt;○赤渕淳「敗戦後本願寺教団についての考察―敗戦前後における信仰の一貫性」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;日本仏教綜合研究&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;color: #0066ff;&quot;&gt;（日本仏教綜合研究学会）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;○末木文美士「顕密体制論以後の仏教研究―中世の諸宗論から」&lt;br /&gt;○佐藤弘夫「板碑を通してみる中世東国の宗教世界」&lt;br /&gt;○長岡龍作「彼岸・因果・表象―仏教美術への開かれたアプローチとして」&lt;br /&gt;○永井晋「本覚大師諡号事件にみる中世国家の意思決定―延慶年間の山門嗷訴の分析から」&lt;br /&gt;（書評略）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;随分前に来たが、ゆっくり読めていない。宇治論文や末木論文は顕密体制論に関連する論文であるが、是非ともまた読んでみようと思う。そのほかも結構興味を抱きそうな論題ばかりで、読んで見たいと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このブログを定期的に見ている方がいるのかはわからないが、もしおられるようなら、また本年も怠惰な私に付き合ってくださいますよう、よろしくお願いいたします。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>学問・資格</dc:subject>

<dc:creator>beginsharu</dc:creator>
<dc:date>2009-01-13T23:16:37+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-a159.html">
<title>『鎌倉遺文』所収の「日蓮聖人遺文」（承前）</title>
<link>http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-a159.html</link>
<description>昨日は、『鎌倉遺文』に収録された「日蓮聖人遺文」について記したが…。 以前購入し...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨日は、『鎌倉遺文』に収録された「日蓮聖人遺文」について記したが…。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以前購入した『興隆学林紀要』12号に、小西徹龍氏が「『鎌倉遺文』所載の『日蓮聖人遺文』について」と題する論考が掲載されていたことを思い出した。&lt;br /&gt;それは、自宗の発表大会で口頭発表されたものをまとめられたもののようだが、『鎌倉遺文』に収録された「日蓮聖人遺文」すべてを抽出して、表形式で提示されていて、非常に分かりやすいものなので、今日は参考及び備忘的な意味からも記しておいた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小西氏は、&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;鎌倉時代の研究に今後も『鎌遺』（管理者註・『鎌倉遺文』）中の日蓮聖人遺文が引用されていくことは明らかであるが、宗祖の文章を『定遺』（管理者註・『昭和定本日蓮聖人遺文』）を基に読んでいる限りでは、『鎌遺』の成果を知らず、時に重大な誤りを犯すことになると考える（９８頁）&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;と指摘されている。『昭和定本』であっても、正篇・続篇の位置付けや、執筆年次など、それを直ちに受け入れるものとはなっておらず、根本の書籍でさえテキストの問題が完璧になっているわけではないことからも、『鎌倉遺文』に所収された日蓮聖人遺文は、さらに注意を要することを認識した上で、使用していかなければならない。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>教学・教団史</dc:subject>

<dc:creator>beginsharu</dc:creator>
<dc:date>2008-10-12T15:03:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/11896-4de2.html">
<title>『鎌倉遺文』11896号文書の「日蓮聖人遺文」について</title>
<link>http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/11896-4de2.html</link>
<description>最近、元寇に関することに興味を持って、色々と本を読んでいる。今日は、少しネットで...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;最近、元寇に関することに興味を持って、色々と本を読んでいる。今日は、少しネットで関係する事柄を見ていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;とあるブログにたどり着いたのだが、そのブログで語られている内容があまりに専門的な内容で、驚愕してしまった。私自身、このブログを管理しているが、こうしてなかなか更新しない、誠に情けないものになってしまっている。しかし、中にはこまめに、それも専門家や学者も驚くような、すごいブログ・ホームページを主宰する方もいるんだなと、今日は本当に驚愕の一言に尽きた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのことについては、また後日にすることとして、今日はそれを読んでちょっと疑問に思って調べたことがあったので、久方の更新とかねてアップすることにした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『鎌倉遺文』は、竹内理三博士が編集した史料集成で、中世史研究者は当然ながらよく利用をする。論文とかレポートなどに『鎌倉遺文』なんて書くと、ちょっとかっこいいなみたいな思いを抱くが、とにかく中世史研究の中では権威がある、欠かすことのできない史料集である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、日蓮教団に関する研究をしているから、基本的に日蓮聖人遺文は『昭和定本日蓮聖人遺文』を用いる。正直なところ、ここ五・六年の間に日蓮聖人遺文が『鎌倉遺文』に収録されていることを知ったのが事実で、『鎌倉遺文』自体を使い始めたのも、本当につい最近という、実にお粗末なものなのだが…。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;久しぶりに、今日は『鎌倉遺文』を引くことになった。それは、そのブログに11896号文書の日蓮聖人遺文を引いて、色々と言及していたからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この11896号文書は、文永の役の様子が記されている遺文である。最後に「建治元年乙亥四月　日　四条金吾殿御返事」と記されている。そこで、『昭和定本』に当たってみた。すると、不思議なことに、11896号文書に該当する遺文が見あたらない。おかしいなと思い、原典に当たってみようと思って『鎌倉遺文』16巻を開いてみた。すると、『高祖遺文録』を出典の根拠として、確かにそのブログに引かれた本文がしっかり記されていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;去文永十一年大歳甲戌十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、對馬ノ者、カタメテ有シ總馬尉等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或ハ殺シ、或ハ生取ニシ、女ヲハ或ハ取集テ、手ヲトヲシテ船ニ結付、或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是、船オシヨセテ有ケルニハ、奉行入道豐前々司ハ逃テ落ヌ、松浦黨ハ數百人打レ、或ハ生取ニセラレシカハ、寄タリケル浦々ノ百姓共、壱岐・對馬ノ如シ、又今度ハ如何カ有ラン、彼國ノ百千萬億ノ兵、日本国ヲ引回シテ寄テ有ナラハ、如何ニ成ヘキソ、北ノ手ハ先佐渡ノ島ニ付テ、地頭・守護ヲハ須臾ニ打殺シ、百姓等ハ北山ヘニケン程ニ、或ハ殺サレ、或ハ生取レ、或ハ山ニシテ死スヘシ、抑是程ノコトハ、如何シテ起ルヘキソト推スヘシ、前ニ申ツルカ如ク、此國ノ者ハ、一人モナク三逆罪ノ者也、是ハ梵王帝釋日月四天ノ、彼蒙古國ノ大王ノ身ニ入セ給テ責給也、日蓮ハ愚ナレトモ、釋迦佛ノ御使、法華經ノ行者也ト名乘候ヲ、用サランモ不思議ナルヘシ、其失ニ國破レナン云々、&lt;br /&gt;建治元年乙亥四月　日　　日蓮花押　　四條金吾殿御返事&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、不思議なのは、最後に記された註記である。これには、&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #009933;&quot;&gt;○一谷入道女房宛日蓮書状（一一九〇五号）に同文見ゆ&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;と記されていた。指摘通り11905号文書に行くと、現在『昭和定本』で記されている『一谷入道御書』が掲載されており、確かにその一部分と同文があった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日蓮聖人遺文は、日蓮聖人滅後700年の間に様々に編纂されてきたことから、遺文が分割されたり逆に合体されたりなどがあり、また真書か偽書かなどといった議論も存在し、さらにはそこに記された文章が正確に伝わっているか否かなどの議論もあって、遺文に当たってみてハテナと思われることも時折ある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、同文が別の文書として扱われることはかなりおかしなことなので、私は典拠となっている『高祖遺文録』にも当たってみた。しかし、どうみても『高祖遺文録』に、11896号文書らしきものは存在しなかった。&lt;br /&gt;考えられることは、『鎌倉遺文』の編集段階で、何らかの錯誤を起こしてしまったということである。それも、&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;建治元年乙亥四月　日　　日蓮花押　　四條金吾殿御返事&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;と記される遺文が、『王舎城事』と同一であるから、それと誤って編集してしまったのではないかと思われる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;『鎌倉遺文』に関しては、現在でも研究会があるようだが、当時の史料から伺える中世像を議論することもさることながら、こうした史料の信憑性や内容の是非、文献の合離など、掲載された史料自体の研究も、きっと行われているものと思う。&lt;br /&gt;テキスト自体の検討がしっかりとなされた上で、色々と議論していく必要があると私は思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;11896号文書の「日蓮聖人遺文」は、疑問符のある文献であるから、この内容を用いるためには、11905号文書、もしくは『昭和定本』等の日蓮聖人の遺文集を用いていくべきだと思った次第である。&lt;br /&gt;ちなみに、「一谷入道御書」は、千葉鷲山寺他に断簡が散在しており、日蓮聖人が確実に記した遺文として位置付けられる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なお、この遺文の記事に関して述べられたブログに対する私見は、また後日を期したいと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;鎌倉遺文研究会ホームページ&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www.f.waseda.jp/ebisawa/KAMAKURA.html&quot;&gt;http://www.f.waseda.jp/ebisawa/KAMAKURA.html&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>教学・教団史</dc:subject>

<dc:creator>beginsharu</dc:creator>
<dc:date>2008-10-11T16:27:11+09:00</dc:date>
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<title>国宝鑑真和上展に行く</title>
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<description>今日、仕事が休みだったので、静岡県立美術館で開催されている「国宝鑑真和上展」に行...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;今日、仕事が休みだったので、静岡県立美術館で開催されている「国宝鑑真和上展」に行ってきた。&lt;br /&gt;「鑑真和上坐像」が見られると知っていたので、何とか見てみたいと思い、足を伸ばして行ってきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日頃、日蓮教団に関する問題について考えているが、日蓮聖人の御在世は鎌倉時代。それに比すると鑑真和上は奈良時代の人だから、さかのぼること５世紀。その差は大きい。出品されているものの多くが、奈良時代とか平安時代のものであり、その歴史の古さだけで圧巻だった。江戸時代のものが出展されていたが、「律三祖像」などは、あまりにも新しくみえて、随分浮いちゃっているような感覚さえ抱いた。&lt;br /&gt;さらには、配布されていた出品目録をみても、２／３程度が国宝や重文に指定されたものである。行くベースごとに重文やら国宝やらが並べられているわけだから、そのすごさだけで「もうおなかいっぱい」という思いだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;唐招提寺の重宝がこうして見られるのは、唐招提寺の修理に合わせてということのようで、重宝が始めて外に出るということに対して、寺内では賛否の議論がなされたと、知人から聞いた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今回、静岡でやっている「鑑真和上展」を知ったのだが、美術館の人に聞いてみると、どうもかなり長い期間、全国で展示会が行われたということで、それは知らなかった。&lt;br /&gt;帰ってきてネットで調べてみたら、２００１年から続いていたようだ。東京が２００１年で今から７年前。となれば、まだこうしたものに興味を持っていなかったから、納得できたが、まさか３年前にもやっていたとは知らなかった。もう少し敏感でいたいなと思った。まあ、今回見れたから、これはよしということにしたい…。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【2001東京・長野、2002愛知、2003愛媛・鹿児島、2004宮城、2005東京、2006北海道】８月末まで静岡で開催されたあと、来年福岡で行われて終わりになるとのこと。&lt;br /&gt;東京では混雑してなかなかゆっくりと見ることができなかったそうだが、静岡での開催は、かなりゆっくりと見れ、特に見たかった「鑑真和上坐像」は１０分ぐらい、前後左右、色々な角度から見ることができた。&lt;br /&gt;終わりごろになるときっと混むのだろうから、今日いってきてよかったと思う。&lt;br /&gt;ただ、鑑真和上坐像の写真を見ると、随分色彩がはっきりとしているようだが、美術館ではかなり電気の明るさを落としていたので、ほとんどその色彩を感じることはできなかった。宝物管理という上からの措置なのだろうか、残念ではあるものも、致し方ないのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あと、一つ思ったのは、重文判定についてなのだが、並列されていた「大雲経」と「大日経」があって、双方ともその古さといい、その保存状況といい、申し分ないように思われた。なおかつ、前者は奈良時代のもので、後者は平安時代のものという。なのに、後者は重文に指定されているが、前者は指定を受けていない。この差異は何なのかと疑問に思った。そういう知識もあれば、もっと面白く見られるのかもしれないが、そこまでの理解はなかなかできない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いずれにせよ、こうしたなかなか近くで見られないようなものを間近で見る機会が得られたことに、本当に充実した休日を送れたと思っている。また、ゆっくりとハードカバーでできた立派な図録を読んで、余韻を楽しみたいと思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【唐招提寺2010プロジェクト】&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www.tbs.co.jp/p-guide/daiji/index-j.html&quot;&gt;http://www.tbs.co.jp/p-guide/daiji/index-j.html&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【静岡県立美術館】&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/kikaku/2008/02.php&quot;&gt;http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/kikaku/2008/02.php&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【唐招提寺】&lt;br /&gt;&lt;a href=&quot;http://www.toshodaiji.jp/&quot;&gt;http://www.toshodaiji.jp/&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>beginsharu</dc:creator>
<dc:date>2008-07-30T23:59:10+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_a446.html">
<title>国立歴史民族博物館と「天璋院篤姫展」に行く</title>
<link>http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_a446.html</link>
<description>長い間私用でブログの書き込みができなかった。 この間、余り学問的な内容を書けるよ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;長い間私用でブログの書き込みができなかった。&lt;br /&gt;この間、余り学問的な内容を書けるようなことはしていないが、仕事の合間を縫って二つの博物館に行ってきたので、今日はその感想を書こうと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;一つは、江戸東京博物館で行われていた「天璋院篤姫展」だ。毎年歳末になると、次の大河ドラマは必ず見るぞと思うのだが、結局今年の「篤姫」は見ていない。私はどうも幕末あたりの歴史がいまいちよくわからないので、是非とも見て知っておきたかったのだが…。ただ、たまたまネットを見ていたら、江戸東京博物館にて篤姫展をやっているとの情報を得たので、見ておきたいなと思っていた。そうしたら、偶然仕事で近くに行く機会に恵まれたので、無い時間を割いて見に行った次第。&lt;br /&gt;江戸東京博物館は、横を走る首都高６号線をよく使用していたこともあって、近くに立つアサヒビールの建物とともに、変わった建物だなと、いつも横目に通過していたのだが、今回は、初めてその中に入ることとなった。&lt;br /&gt;ただ、もう終わりに近かったからなのか、大変混雑していて、大河ドラマの人気振りが知られただけで、人を見たという印象はあっても、展示品をしっかり見たというイメージがないことが、まことに残念である。&lt;br /&gt;東博や京博などの国立と違って、展示のスペースだとか展示品だとか、そういう充実さがないのではと思っていたが、実に沢山の展示物があり、その展示物も贅沢なほどゆったりと展示している印象をうけた。もうすこしゆっくりと、欲を言えば人が余り入っていないときに見てきたかったが、致し方がない。購入してきた図録で、これからゆっくりと見ていきたいと思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もう一つは、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に行ってきた。&lt;br /&gt;一度行ってみたいと思っていたのだが、たまたま用事と重なって行く機会に恵まれた。&lt;br /&gt;ここでは常設展を見てきた。時代ごとに、第一から第五まで展示室が分かれていて、そのときにタイムスリップしたような、とにかく贅沢なスペースに多くのジオラマや展示物がこれでもかというように展示されていたことは圧巻であった。開館時間から数時間、結構時間かけてみてきたが、まだまだ見足りないというほどの展示内容であった。また、第三展示室が丁度この３月からリニューアルオープンをしたということで、きれいさとともに充実した展示内容が楽しさを増してくれた。ただ、既にここに来るまでに時間が費やされてしまっていたので、例えば寺子屋のコーナーではご年配の方が色々とお教えくださっていたようで、自分もそのお話を聞きたかったが、時間が押してしまっていたので断念せざるを得ない状況であった。といいながらも、あれだけの分量がありながら、中世期の展示はボリュームが他と比べて淋しいような感じを受けた。自分が中世に興味を持っていることからかもしれないが、それでももう少し中世を充実して欲しいかなと思った。&lt;br /&gt;もう一つ驚いたこと。それは、すべて見終わって「あぁ、もうこれでいいや」と思っていたところ、入場券を購入する受付の反対側に、なんと全国の博物館で発行された図録が置いてあった。私は、今までネットなどで一生懸命様々な博物館の図録を探しては購入してきたので、ここにくれば欲しいものが、それも手にとって見て、購入の要否を判断できる。全国から来た図録の分量も半端じゃないし、驚いて見入ってしまった。結局、２冊の図録を購入してきたが、なんだか近隣に住む人がうらやましいなと思いながら帰ってきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「民営化」は現在の政治改革の一つのキーワードとなっているが、私も民営化されれば様々な面でプラスに働くことがあろうとは思っている。ただ、郵便局は反対であった。結局、民営化されることでかなり使い勝手が悪くなってきたと感じるのは私だけではないはずである。しかし、民営化の是非を問う選挙において、国民が民営化すべきと判断したから、今そうなってしまった。もう一つ、私が民営化してはいけないのではと思うのが、学問的なことに関する件だ。佐倉の歴史民族博があのように贅沢なスペースで、贅沢な展示物を設けることができるのも、やはり国営・公営だからできるのではないかと感じている。&lt;br /&gt;あれだけの展示物があって、入場料も４２０円（高校・大学生２５０円、中学生以下無料）という安価で見れるのも、やはり国立ならではのことだと思う。もし、こうしたことまで民営化などという議論が押し寄せてきたら、本当につまらないなと、あのスケールに圧巻としてそんな思いを抱きつつ、帰途に着いた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;国立歴史民俗博物館ホームページ　&lt;a href=&quot;http://www.rekihaku.ac.jp&quot;&gt;http://www.rekihaku.ac.jp&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>文化・芸術</dc:subject>

<dc:creator>beginsharu</dc:creator>
<dc:date>2008-04-24T20:21:51+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_1595.html">
<title>『浄土宗大辞典』に掲載された女人成仏関連の解説</title>
<link>http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_1595.html</link>
<description>前回、女人成仏・女人往生に関する諸辞典の記録を挙げておいたが、今日は『浄土宗大辞...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;前回、女人成仏・女人往生に関する諸辞典の記録を挙げておいたが、今日は&lt;span style=&quot;color: #3366cc;&quot;&gt;『浄土宗大辞典』三巻&lt;/span&gt;に挙げられた関連項目を挙げておく。&lt;br /&gt;日蓮教学を中心として勉強をしてきた私にとって、浄土宗における女人成仏に関する説明は、かなり新鮮であった。ひとまず今回は解説だけを挙げておき、後日に私見を述べてみたいと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;にょにんおうじょう【女人往生】&lt;/span&gt;女性も極楽浄土に往生できるということ。古来インドでは、女性蔑視の傾向があり、女性は五障があって仏に成ることがでぎないとか、浄土には女性はいないという考え方があった。これを解決するために女性は男性に転化（転女成男―てんにょじょうなん―・変成男子―へんじょうなんし―）して成仏するという考えが成立した。女人往生の場合にも、転女成男の考え方が重要な意味をもっている。『無量寿経』の第三五願には、「もしわれ仏を得たらんに、十方無量不可思議の諸仏世界にそれ女人あって、わが名字を聞いて、歓喜信楽して、菩提心を発し、女身を厭悪せんに、寿終の後また女像とならば正覚を取らじ」と浄土に往生して男子の身に変わるよう誓われている。のちに法然上人はこれを「女人往生の願」と名づげ、親鸞は「変成男子の願」と呼んだ。曇鸞は『論註』上で、女人と根欠と二乗は浄土に往生できないという説に対して、「仏もと何故ぞこの願を興したまえる。ある国土を見るに仏、如来、賢聖等の衆有りと雖も、国濁るに由るが故に一を分ちて三と説く。（略）わが国土をして皆これ大乗大味、平等一味ならしめ、根敗種子畢竟じて生せず、女人残欠の名字もまた断たんと」として、女人、根欠、二乗は往生できないというのではなく、極楽浄土にはそれらの名称すらなく一味平等であると解釈した。善導は『観念法門』に、『無量寿経』の第三五願を解釈して「乃ち弥陀の本願力に由るが故に、女人、仏の名号を称すれば、正しく命終の時、即ち女身を転じて男子と成るを得。弥陀は手を接し、菩薩は身を扶けて宝華の上に坐しめ、仏に随って往生し、仏の大会に入りて無生を証悟す。また一切の女人、もし弥陀の名願力に因らずんば、千劫万劫恒沙等の劫にも、終に女身を得ることを転ずべからず、まさに知るべし。今あるいは道俗ありて、女人、浄土に生ずることを得ずといわば、これは是れ妄説なり。信ずべからず」と説き、女人が往生できないという説を批判し、転女成男は阿弥陀仏の本願力によると強調した。曇鸞、善導の所説に、男女の差別意識が受けつがれているのに対して、法然は往生業としての念仏は男女平等に行なわれるものであり、平等に往生できると説いた。「禅勝房にしめす御詞」には「念仏申す機は、むまれつぎのまゝにて申す也。さきの世の業によりて、今生の身をばうける事なれば、この世にてはえなをしあらためぬ事也。たとえば女人の男子にならばやとおもへども、生のうちには男子とならざるがごとし。智者は智者にて申し、愚者は愚者にて申し、慈悲者は慈悲ありて申し、慳貪者は慳貪ながら申す、一切の人みなかくのごとし。さればこそ阿弥陀ほとけは十方衆生とて、ひろく願をばをこしましませ。」として、この世で男性が女性に変わることは不可能であるが、女性は女性のままで念仏を唱えよと説いた。それは、法然が下機の衆生という強い凡夫意識に立っていたことに基づいている。【参考】『念仏往生要義抄』『西宗要』二『西宗要聴書』本、『鎮西宗要宗本末口伝抄』本、『大経直談要註記』一四、『無量寿経抄』四、『翼賛』一八、『法然上人伝記』四上、六下、『法然上人伝』六、香川孝雄「仏教の女性観」（印仏研二三・二）、笠原一男『女人往生思想の系譜』。&lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p140a-c&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;にょにんおうじょうがん【女人往生願】&lt;/span&gt;阿弥陀仏の四十八願の第三五願。義寂は令離穢形願といい、智光と良源は聞名発心転女成男願という。また不復女像願、聞名転女願、などともいう。これは法蔵が成仏したならば十方のはかり知れないほどの諸仏の国国にいる女人が名号（阿弥陀）を聞いて歓喜信受して浄土に往生したいと菩提心をおこし、女人の身を厭うものがある、かようなものが命終ののちに浄土に往生して再び女人の身をうけることのないようにしたいという誓願。安土浄厳院所蔵の『無縁集』には法然上人の講説として「設我得仏、十方世界諸女人等云々。此ハ二意アリ、一ハ生死界ノ中ニ有リト云トモ生々世々ニ女身ヲ不受事、二ニハ生死ニ廻ニハ自ラ女身ヲ受コト有ヌヘケレバ恐モ有危クモ有、サレハ生死ヲ出浄土ニ迎給事、善導和尚云、観念法門ヲ見ルベシ。（略）然ラバ此ノ釈ヲ以、浄土ニ生ジ長ク女身ヲ離正義二テ候也」とある。&lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p140c&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;にょにんこんけつふしょう【女人根缺不生】&lt;/span&gt;阿弥陀仏の極楽浄土に女人と不具者とは生じないということ。世親の『往生論』の国土荘厳第一六大義門功徳成就の偈に「大乗善根界は等しく譏嫌の名なく、女人および根缺と二乗との種は生ぜず」と説いているように、女人と不具者との不生を示している。曇鸞は『論註』上に「わが国土をして皆これ大乗一味、平等一味ならしめん」がために、女人と根缺者とそれらの名字を断たんという誓願をもって浄土が建立されたゆえんを説いている。これは阿弥陀仏の四十八願のなか、第二一具三十二相の願と第三五転女成男の願とがあるからには、かの極楽浄土の衆生はことごとく皆平等の菩薩を具え、まったく譏嫌の名と体のないことが知られる。懐感は『群疑論』五において「下位を化せんがためには女人ありと示し、上位の者を化するには女人なしと説く。相違せざるなり」といい、また巻六において女人の有無について三釈をこころみている。すなわち第一釈には『観無量寿経』第九真身観に説く仏は受用身であるから父母あることを説かない。『鼓音声王経』に説く仏は変化身であるから父母ありと説くと指摘し、また受用身のなかにも分段生死位の菩薩を化するためには胎生の身をあらわすから父母あり、変易位の菩薩を化するためには化生身をあらわすから父母なしとし、第二釈には仏に父母等ありというのは諸功徳の法を指すのであって、浄土の阿弥陀仏に胎生の父母があるというのではないとし、第三釈には『悲華経』に説くように、諸仏の成道は浄・穢の土において所現するから一様でないのであり、阿弥陀仏は極楽浄土において成仏し給うたのであるから、胎生の身でないと説いている。このように懐感は、仏の身土によって女人の有無の相違があると説いている。これに対して善導は『観経疏』玄義分において「女人および根缺の義は、かしこに無きが故に知るべし」と明記している。これは女人や根缺の者が浄土に生まれることができないということではなく、往生できるが浄土には、そのような状態で生まれることがないということを示したものである。&lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p141b-c&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;にょにんじょうぶつ【女人成仏】&lt;/span&gt;女性も男性と同じように仏に成ることができるということ。釈尊は男女の地位が平等であり、ともに涅槃に至ることができると説いているが、女性蔑視を思わせる所説もある。それは比丘尼教団の成立事情や比丘尼戒の制定などにもうかがえよう。また万人の成仏が仏教のたてまえであるが、成仏を男性に限り、女性には五障や三従の掟があって成仏できないという男尊女卑の傾向があった。これを解決するために、女性は男性に転じて（転女成男、変成男子）成仏するという思想が現われた。その代表が『法華経』提婆達多品の竜女成仏説である。この考え方は『阿闍世王女阿術達菩薩経』『離垢施女経』『須摩提菩薩経』『海龍王経』三、『菩薩処胎経』七などにも見られる。『大阿弥陀経』上の第二願には「わが国中をして、婦人有ることなからしめん。女人わが国中に来生せんと欲する者は、即ち男子と作らん」と転女成男が説かれ、善導は『観念法門』で「乃ち弥陀の本願力に由るが故に、女人は仏の名号を称して正しく命終る時、即ち女身を転じて男子と成ることを得」として女人往生の思想を展開している。［参考］香川孝雄「仏教の女性観」（印仏研二三・二）。&lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p141c&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>宗教・仏教</dc:subject>

<dc:creator>beginsharu</dc:creator>
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<item rdf:about="http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_538f.html">
<title>「女人と仏教」「女人成仏」に関する諸辞典の解説</title>
<link>http://beginsharu.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_538f.html</link>
<description>　先日書いた記事の中に、２点書きたいことがあったと記したが、その一つが「仏教と女...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;　先日書いた記事の中に、２点書きたいことがあったと記したが、その一つが「仏教と女性」「女人成仏観」ということである。それは、とあるHPで日蓮聖人の女性観に関する問題が述べられていたからだ。しかし、その記事について、私は若干の異見を持っていたので、いずれそれを書きたいと思っていたのだ。ただ、自分の意見を述べる前に様々な見解を見ておこうと思い、いくつかの論文を読んでいるうちに、なんだか収拾がつかなくなってしまい、結果としてブログに述べることすら億劫となってしまった。&lt;br /&gt;　数日前、図書館で中村元氏が著した『広説仏教語大辞典』で何気なく「女人成仏」を読んでみたとき、まずは辞典でどのように説明されているのかをブログに挙げておくことも良いなと思い、中村元氏の辞典をはじめとして、『岩波仏教辞典』（初版）・『日本仏教語辞典』、そして日蓮教学から見る上で『日蓮聖人遺文辞典・教学篇』の４種類から、それぞれ女人成仏・女人と仏教という点に関連する項目を（すべてではないが）うってみたので挙げておきたいと思う。誤字・脱字もあると思われるが、ご寛恕願いたいと思う。&lt;br /&gt;　なお、女人成仏に関する私見については、また稿を改めて後日述べてみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #3366cc;&quot;&gt;★☆★☆★☆岩波仏教辞典（初版）★☆★☆★☆&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;人禁制【にょにんきんぜい】&lt;/span&gt;信仰上、女性をけがれ多く、また僧の修行を妨げる者として、特定の寺院・霊場で女性の立入りを禁止したこと。区域を定める結界石を立ててこれを標示したことから〈女人結界〉ともいう。禁止の事実は、比叡山・高野山・金峯山(きんぶせん)その他にみられ、平安時代の記録や文学作品に徴し得るが、この用語の見えるのは、室町時代のころからのようである。女性に本堂の内陣に入るのを許さないのも禁制の一種といえよう。道元・法然・存覚らは女人禁制を強く批判否定した。「此の島は女人禁制とこそ承りて候ふに、あれなる女人は何とて参られ候ふぞ」〔謡・竹生島〕「若君様あれ御覧候へや、一枚は女人禁制、また一枚は産病者禁制、今一枚は細工禁制と書きてあり」〔説経・宝永版あいごの若５〕　&lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p640&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人成仏【にょにんじょうぶつ】&lt;/span&gt;女性が仏に成ること。古来より女性は地位が低く見られ、仏になれない、浄土に女性はいないなどといわれ、法華経(提婆達多品)にも梵天王・帝釈天・魔王・転輪聖王(てんりんじょうおう)・仏の五種にはなれない五つの障(さわ)り(五障)があると説かれている。このほか多くの経論や世間の法などでも、女性は地獄の使い、仏の種子(しゅうじ)を断つ者、亡国の根源、不信を体とする者、五障三従の者などといわれ、不成仏の者と見なされ仏の救いから排斥されてきた。こうした見方と大乗仏教のすべての者は仏に成れると説く教えとは矛盾するものであり、そこで無量寿経には阿弥陀仏の女人往生の誓いを説き(第三十五願)、法華経(提婆達多品)には８歳の竜女(りゅうにょ)の成仏を説いている。この竜女成仏は女人成仏の根拠として重要な意義を持ち、諸経における否定的女性観を打破して、すべての女性の成仏が可能となる法華経の女性観を示したものである。この両経説をタイアップさせて女人成仏を強調し、中古・中世文学の女人往生のモチーフにも大きな影響を与えたのが、天台系浄土門流の所説である。&lt;br /&gt;　女性の成仏、往生を説くことは鎌倉仏教の一つの特色である。日蓮は、法華経の竜女の即身成仏を女人成仏の現証を示すものとして重視し、『開目鈔』に「一念三千の成仏にあらざれば有名無実の成仏往生なり。挙一例諸(こいちれいしょ)と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」と述べ、女人成仏は一念三千の教えによらなければならないことを強調している。女人成仏は、法華経が一切衆生すべてが仏に成れる経であることを示す特色ある教えの一つである。&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;pp640～641&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #3366cc;&quot;&gt;★☆★☆★☆日本仏教語辞典（岩本裕著）★☆★☆★☆&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人【にょにん】&lt;/span&gt;婦女子のこと。「女性（にょしょう）」ともいう。『源氏』（夕霧）「女人のあしき身を受け、長夜の闇に惑（まど）ふ」。［補説］『涅槃経』九（大正蔵１２―４２２上）に「一切の女人は皆是れ衆悪の所住の処なり」と記され、『妙法華』（１２）「提婆達多品」（大正蔵９―３５下）に「女人の身、猶、五障あり」と記されるように、佛教の女性観の一部には女性蔑視の思想が見られる。さきの引用文も、このような女性観の反映である。同じ観念に基づいて、「女人禁制」とか「女人結界」などの語が生じた。&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;pp566c～567a&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人成佛【にょにんじょうぶつ】&lt;/span&gt;女性が女の身体のままで佛になりうること。女人の即身成佛。謡曲『梅枝』「法華はこれ最第一。三世の諸佛の出世の本懐。衆生成佛の直道なし中んづく女人成佛疑ひあるべからず」。［補説］『妙法華』（１２）「提婆達多品」に説かれる竜女の成佛は変成男子（へんじょうなんし）説の物語で、女人の即身成仏説ではない。日蓮は『女人成佛抄』の中で、法華経以前の経典には女人不成佛が説かれ、法華経に至ってはじめて女人の成仏が説かれたとし、事の本質をかくしたことが知られる。&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p567b&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #3366cc;&quot;&gt;★☆★☆★☆広説仏教語大辞典・下巻（中村元著）★☆★☆★☆&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人往生【にょにんおうじょう】&lt;/span&gt;女人が極楽往生に往生して、男子に生まれかわること。〈『平等覚経』１巻［大正蔵］一二巻二八三上〉&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p1311c&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人往生願【にょにんおうじょうのがん】&lt;/span&gt;阿弥陀仏四十八願のうちの第三十五．女性が浄土に往生して男子の身に変わるように、ということを誓う。法然が名づけた。変成男子願ともいう。〈『無量寿経』上［大正蔵］一二巻二六八下参照〉&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p1311c&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人禁制【にょにんきんぜい】&lt;/span&gt;女性は修行僧にとっては修行のさまたげとなることが多いので、修行の道場に入ることが禁止されていたこと。わが国では、昔、比叡山・高野山などにこの制があった。この制は明治政府の布告で廃止されたが、廃止の通達はすぐには実行されず、多くのいざこざがあったとされる。大和の大峰山では今日でもこれを守っている。〈謡曲『道成寺』『竹生島』〉&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;pp1311c～d&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人地獄使【にょにんじごくし】&lt;/span&gt;「にょにんはじごくのつかいなり」とよむ。女は地獄からよこされた使者である、という意。『華厳経』の文であると伝えられているが『華厳経』には見当たらないという。内心如夜叉に同じ。〈『宝物集』４巻、『大日本佛教全書本』８５上〉&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p1311d&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人成佛【にょにんじょうぶつ】&lt;/span&gt;インドでは、古く女性の地位を非常に低くみて、女には梵天王・帝釈・魔王・転輪王・仏の五種のものにはなれない障害（五障）があるとし、また浄土には女性はいないという考えが生じた〔ただし、天女はいる〕。しかし、すべての者が仏のさとりの実現ができるという大乗仏教の教えと矛盾するので、身を男性に変えてこれを解決しようとしたことをいう。これを変成男子という。女人往生は『無量寿経』に説く、阿弥陀仏四十八願の第三十五願によると、女性も浄土に往生して男子の身となるという。『法華経』提婆品には、竜王の八歳の娘が文殊菩薩の導きによって男身となり、南方世界で成仏したと説かれる。これを竜女成仏という。この問題は『須摩提菩提経』『大宝積経』『無所有菩薩経』などにも論議されている。〈『玉かがみ』〉&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;pp1311d～1312a&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人非器【にょにんひき】&lt;/span&gt;女人は仏法を受けるに十分な資格がないということ。［解釈例］仏法の水入るべきに堪へずとなり。〈『拾遺古徳伝』〉&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p1312a&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人不浄【にょにんふじょう】&lt;/span&gt;女人の身体が不浄であると観想すること。〈『菩提行経』４巻［大正蔵］３２巻５５７上〉&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p1312a&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;span style=&quot;color: #3366cc;&quot;&gt;★☆★☆★☆日蓮聖人遺文辞典教学篇★☆★☆★☆&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人往生【にょにんおうじょう】&lt;/span&gt;女人が仏の世界に往き、生まれ変ること。「女人成仏」と類義語であるが、厳密には往生と成仏は意義が異なる。往生は諸仏の浄土に化生して仏となるが、成仏は自ら悟りを開いて仏となることをいう。女人往生の思想は、『無量寿経』巻上（『正蔵』１２巻２６８頁Ｃ）では阿弥陀仏の第三五願に説かれるが、いずれも男子に変じて往生を遂げるとする。『女人往生鈔』（３５０頁）にみえ、また『月水御書』（２９０頁）に「女人の成仏往生」の語が、『薬王品得意鈔』（３４１頁C）や『法華題目鈔』（４０４頁C）に「女人の往生成仏」の語がみえる。&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;pp954d～955a&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人成仏【にょにんじょうぶつ】&lt;/span&gt;（高森大乗氏執筆）&lt;br /&gt;女性が仏に成ること。インドでは古来より女性の地位は低くみられ、仏になれない、浄土に女性はいない（天女は除く）などといわれ、爾前の諸経でも二乗・闡提等とともに、成仏を認められなかった。日蓮は『法華題目鈔』（４００頁C）に、「女人をば内外典に是をそしり、三皇五帝の三墳五典にも諂曲者と定む。されば災は三女より起ると云へり。国の亡び人の損ずる源は女人を本とす。内典の中には初成道の大法たる華厳経には、女人は地獄の使なり、能く仏の種子を断つ、外面は菩薩に似て、内心は夜叉の如しと文。双林最後の大涅槃経には、一切の江河は必ず回曲（えこく）有り、一切の女人必ず諂曲有りと文。又云く、所有（あらゆる）三千界の男子の諸の煩悩合集して一人の女人の業障となる等云云」と述べている。法華経提婆品にも女性は梵天王・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏の五種の者にはなれない五障（五つの障害）があると説かれている（『開結』３５４頁）。しかし提婆品は八歳の竜女の成仏を説いて、五障を持つが故に社会的に低くみられ、一切の諸経において成仏を許されなかった女性の成仏が可能となる根拠を示したのである。智ギは『法華文句』巻七上（『正蔵』３４巻９７頁Ａ）に「他経は（略）但だ男に記して女に記せず」といって、爾前経に女人の授記は説かれず、女人成仏は法華経のみが説くことを指摘し、最澄は『法華秀句』巻下（『伝全』３巻２６６頁）において、法華の十勝の第八に即身成仏化導勝を挙げ、竜女成仏（女人成仏）は法華経の力用による即身成仏であるとする。日蓮は『開目抄』に「竜女が成仏此れ一人にはあらず。一切の女人の成仏をあらわす」（５８９頁Ｂ）、「挙一例諸（こいちれいしょ）と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」（５９０頁Ｂ）と述べて、法華経の竜女成仏が女人成仏の現証を示すものとして重視し、「二箇の諌暁」の一つに数えている。また「法華経已前の諸の小乗経には女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には成仏往生をゆるすやうなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば有名無実の成仏往生なり」（５８９頁Ｂ）と述べて、たとえ爾前の経に成仏を許すような説があっても、それは真の即身成仏ではなく、女人成仏は法華経の一念三千の法門によらなければならないことを強調している。女人成仏は、二乗作仏・悪人成仏等とともに、法華経が一切衆生すべてが仏に成れる経であることを示す特色ある法門の一つである。『女人成仏鈔』（３３５頁）、『善無畏鈔』（４１２頁Ｃ）、『祈躊妙』（６７３頁Ｂ）、『妙法尼御前御返事』（１５３７頁Ｃ）、『千日尼御前御返事』（１５４１頁Ａ）、『法衣書』１８５５頁Ａ）等、女性信徒宛消息に多る。&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;pp955a～c&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;女人之業障【にょにんのごうしょう】&lt;/span&gt;業障は業のさわり。成仏のさまたげとなる業のこと。女人の持つ成仏のさまたげとなる業のこと。『主師親御書』（５０頁）に、法華経以外の諸経に女人の罪障深く成仏の困難なことを説いた経文を挙げる中に、「有る経に云く、所為（あらゆる）三千界の男子の諸の煩悩を合せ集めて、一人の女人の業障と為す」とみえる。「有る経」が何をさすかは不詳。&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;p955c&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;&lt;span style=&quot;color: #9900ff;&quot;&gt;竜女成仏【りゅうにょじょうぶつ】&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;color: #660066;&quot;&gt;（&lt;/span&gt;高森大乗氏執筆）&lt;br /&gt;竜王の娘が仏になること。法華経提婆品に説かれ、「竜女作仏」ともいう。提婆品に「娑竭羅（しゃから）竜王の女（むすめ）、年始めて八歳なり。智慧利根にして、善く衆生の諸根の行業を知り、陀羅尼を得、諸仏の所説甚深の秘蔵悉く能く受持し、深く禅定に入って諸法を了達し、刹那の頃（あいだ）に於て菩提心を発（おこ）して不退転を得たり」（『開結』３５１頁）とある。すなわち娑竭羅竜王の八歳の娘が、文殊師利菩薩の竜宮で法華経を宣説するを聞いて、菩提心を起こし、速やかに悟りを開き、その後、霊鷲山へ詣で仏前において即身成仏の現証を示したことが説かれている。竜女の成仏は女人成仏の根拠として重要な意義を持つ。爾前の諸経では女人の成仏を認めず、また往生・成仏を許しても改転の成仏か歴劫修行を必要とした。法華経では畜身の八歳の童女が現身のままに速疾に成仏したと説いて、すべての女性の成仏が可能となることを示したのである。すなわち人間に限らず生きとし生きる者はすべて、老若男女を問うことなく、一念の信を生じることによって、法華経の力用により即身に成仏することができると説くのである。竜女成仏は二乗作仏・悪人成仏とともに、法華経が一切衆生すべてを成仏させる経であることを示す特色ある法門の一つである。智顗は『法華文句』巻七上（『正蔵』３４巻９７頁Ａ）に「他経は（略）但だ男に記して女に記せず、但だ人天に記して畜に記せず。今経は皆記す」と述べて、竜女の成仏が法華経の特色であることを指摘する。最澄も『法華秀句』巻下（『伝全』３巻２６６頁）に法華の十勝の一つに挙げ、竜女成仏は法華経の勝れた力用を顕すものと述べている。日蓮も『開目抄』に「竜女が成仏此れ一人にはあらず、一切の女人の成仏をあらはす」（５８９頁Ｂ）、「挙一例諸（こいちれいしょ）と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」（５９０頁Ｂ）と述べ、一切の女人の成仏への道を切り開いたものとし、悪人成仏とともに「二箇の諌暁」という。日蓮は『観心本尊抄』（７０４頁Ａ）に提婆品の「竜女乃至成等正覚」の文を、畜生界に十界（仏界）を具する証文とするが、竜女成仏は一念三千十界互具の法門によるのである。畜身であっても、女人であっても、八歳の幼稚の竜女であっても、信ずる力さえあれば男子と同様に成仏できることを教えるのが竜女成仏の法門である。なお竜女成仏を経文に「忽然（こつねん）の間に変じて男子と成って」とあることから、男子に身を変えての改転の成仏であるかに見る者もあるが、それは誤りで、変成男子以前にすでに竜宮で悟りを開いていたことは経文に明らかである。変成男子の相を示したのは、爾前・小乗の見解に執われている智積菩薩や舎利弗、さらには一会の大衆の疑いを破るための現証である。『女人成仏抄』（３３５頁）、『祈祷抄』（６７４頁Ｂ）、『上野殿御消息』（１１２７頁）、『秀句十勝抄』（２３７４頁Ａ）等。&amp;nbsp; &lt;span style=&quot;color: #ff0066;&quot;&gt;pp1263c～1264a&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>宗教・仏教</dc:subject>

<dc:creator>beginsharu</dc:creator>
<dc:date>2008-02-29T23:04:42+09:00</dc:date>
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