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2008年10月11日 (土)

『鎌倉遺文』11896号文書の「日蓮聖人遺文」について

最近、元寇に関することに興味を持って、色々と本を読んでいる。今日は、少しネットで関係する事柄を見ていた。

とあるブログにたどり着いたのだが、そのブログで語られている内容があまりに専門的な内容で、驚愕してしまった。私自身、このブログを管理しているが、こうしてなかなか更新しない、誠に情けないものになってしまっている。しかし、中にはこまめに、それも専門家や学者も驚くような、すごいブログ・ホームページを主宰する方もいるんだなと、今日は本当に驚愕の一言に尽きた。

そのことについては、また後日にすることとして、今日はそれを読んでちょっと疑問に思って調べたことがあったので、久方の更新とかねてアップすることにした。

『鎌倉遺文』は、竹内理三博士が編集した史料集成で、中世史研究者は当然ながらよく利用をする。論文とかレポートなどに『鎌倉遺文』なんて書くと、ちょっとかっこいいなみたいな思いを抱くが、とにかく中世史研究の中では権威がある、欠かすことのできない史料集である。

私は、日蓮教団に関する研究をしているから、基本的に日蓮聖人遺文は『昭和定本日蓮聖人遺文』を用いる。正直なところ、ここ五・六年の間に日蓮聖人遺文が『鎌倉遺文』に収録されていることを知ったのが事実で、『鎌倉遺文』自体を使い始めたのも、本当につい最近という、実にお粗末なものなのだが…。

久しぶりに、今日は『鎌倉遺文』を引くことになった。それは、そのブログに11896号文書の日蓮聖人遺文を引いて、色々と言及していたからだ。

この11896号文書は、文永の役の様子が記されている遺文である。最後に「建治元年乙亥四月 日 四条金吾殿御返事」と記されている。そこで、『昭和定本』に当たってみた。すると、不思議なことに、11896号文書に該当する遺文が見あたらない。おかしいなと思い、原典に当たってみようと思って『鎌倉遺文』16巻を開いてみた。すると、『高祖遺文録』を出典の根拠として、確かにそのブログに引かれた本文がしっかり記されていた。

去文永十一年大歳甲戌十月ニ、蒙古国ヨリ筑紫ニ寄セテ有シニ、對馬ノ者、カタメテ有シ總馬尉等逃ケレハ、百姓等ハ男ヲハ或ハ殺シ、或ハ生取ニシ、女ヲハ或ハ取集テ、手ヲトヲシテ船ニ結付、或ハ生取ニス、一人モ助カル者ナシ、壱岐ニヨセテモ又如是、船オシヨセテ有ケルニハ、奉行入道豐前々司ハ逃テ落ヌ、松浦黨ハ數百人打レ、或ハ生取ニセラレシカハ、寄タリケル浦々ノ百姓共、壱岐・對馬ノ如シ、又今度ハ如何カ有ラン、彼國ノ百千萬億ノ兵、日本国ヲ引回シテ寄テ有ナラハ、如何ニ成ヘキソ、北ノ手ハ先佐渡ノ島ニ付テ、地頭・守護ヲハ須臾ニ打殺シ、百姓等ハ北山ヘニケン程ニ、或ハ殺サレ、或ハ生取レ、或ハ山ニシテ死スヘシ、抑是程ノコトハ、如何シテ起ルヘキソト推スヘシ、前ニ申ツルカ如ク、此國ノ者ハ、一人モナク三逆罪ノ者也、是ハ梵王帝釋日月四天ノ、彼蒙古國ノ大王ノ身ニ入セ給テ責給也、日蓮ハ愚ナレトモ、釋迦佛ノ御使、法華經ノ行者也ト名乘候ヲ、用サランモ不思議ナルヘシ、其失ニ國破レナン云々、
建治元年乙亥四月 日  日蓮花押  四條金吾殿御返事

しかし、不思議なのは、最後に記された註記である。これには、

○一谷入道女房宛日蓮書状(一一九〇五号)に同文見ゆ

と記されていた。指摘通り11905号文書に行くと、現在『昭和定本』で記されている『一谷入道御書』が掲載されており、確かにその一部分と同文があった。

日蓮聖人遺文は、日蓮聖人滅後700年の間に様々に編纂されてきたことから、遺文が分割されたり逆に合体されたりなどがあり、また真書か偽書かなどといった議論も存在し、さらにはそこに記された文章が正確に伝わっているか否かなどの議論もあって、遺文に当たってみてハテナと思われることも時折ある。

しかし、同文が別の文書として扱われることはかなりおかしなことなので、私は典拠となっている『高祖遺文録』にも当たってみた。しかし、どうみても『高祖遺文録』に、11896号文書らしきものは存在しなかった。
考えられることは、『鎌倉遺文』の編集段階で、何らかの錯誤を起こしてしまったということである。それも、

建治元年乙亥四月 日  日蓮花押  四條金吾殿御返事

と記される遺文が、『王舎城事』と同一であるから、それと誤って編集してしまったのではないかと思われる。

『鎌倉遺文』に関しては、現在でも研究会があるようだが、当時の史料から伺える中世像を議論することもさることながら、こうした史料の信憑性や内容の是非、文献の合離など、掲載された史料自体の研究も、きっと行われているものと思う。
テキスト自体の検討がしっかりとなされた上で、色々と議論していく必要があると私は思っている。

11896号文書の「日蓮聖人遺文」は、疑問符のある文献であるから、この内容を用いるためには、11905号文書、もしくは『昭和定本』等の日蓮聖人の遺文集を用いていくべきだと思った次第である。
ちなみに、「一谷入道御書」は、千葉鷲山寺他に断簡が散在しており、日蓮聖人が確実に記した遺文として位置付けられる。

なお、この遺文の記事に関して述べられたブログに対する私見は、また後日を期したいと思う。

鎌倉遺文研究会ホームページ
http://www.f.waseda.jp/ebisawa/KAMAKURA.html

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